4月25日はアンザックデイ。在住者として知っておくべき歴史とは?


4月25日は ”ANZAC DAY(アンザックデイ)”



歴史詳細は後程、その前に先に当日の写真です。

祝日ですが、Donの学校もマーチと追悼式に参加してきました。



シドニーやブリスベンの大都市と違って人口わずか5千人あまりの田舎町。
マーチの為の道路封鎖もどでかいキャリアカー一台がでーん!とふさいで間に合います。




 マーチ開始前に集合する参加者たち。



いよいよマーチが始まりました。

兵士たちを先頭に記念碑前に向かいます。



Donの学校のマーチ隊も記念碑へ。




追悼式最中はあまり撮影していませんがその一部です。


 追悼式は毎年、国歌斉唱から始まり「Last Post」と呼ばれる軍葬ラッパが兵士たちによって演奏されます。
その後、その町ほぼ全ての事業者や学校、個人関係者によるリースの献花が行われます。


記念碑前にて


 この記念碑には戦争で亡くなった兵士たちの名前がきざまれています。
義姉の旦那さん側の親族の名前もここに刻まれています。




 記念碑の後ろには、毛糸であんだ手作りの赤いポピーの花が敷かれています。
何故赤のポピーか?兵士たちの流した血と戦争の記憶の象徴です。これに関しては別記事で紹介します。

この十字架には、アフガニスタンの任務で亡くなった若い兵士も含まれ、その若者は義父母の家の近隣に住んでいたらしく何とも言えない気持ちが沸いてきます。

追悼式終了後は、戦車が登場
子供達と兵士たちの触れ合いの場が設けられ、実際に中を見学できます。


さて本題に入ります。

オーストラリアに旅行した方やお土産などで「アンザックビスケット」というのを目にした方も多いと思います。

義母の手作りアンザックビスケット


そのくらいオーストラリアを代表する有名な日。

在住者として地元の人たちと共に生活していく中できちんとこの日を理解して置く事はとても大事です。

これからは「日本人在住者として知っておくべきアンザックデー」を記事にします。

 Anzac Day とは?


毎年425日、第一次世界大戦のガリポリの戦いで勇敢に戦ったオーストラリア・ニュージーランド軍団(ANZAC)の兵たちと、当時国の為に尽力した人々のために追悼を行う。 1969年に記念日が設立した。1915425日にANZAC軍がトルコのガリポリに上陸したことに由来する。
引用元:Anzac dayより



とあります。

ちなみにANZACは、Australia and New Zealand Army Corps.の略。

初めてオーストラリアでこの日を知った時、あまり背景が分かりませんでした。

追悼を行うとは言え、盛大にマーチはあるし戦争の歴史上となると日本じゃその当時の敵対国から大変な問題と取り上げられますよね。

そこでいろんな疑問が沸いてきました。

何でトルコのガリポリ島なのか?何でAUSNZ軍団がそこで戦う事になったのか?


これはオーストラリアの歴史を知らずして語ることはできません。

イギリスとの強い繋がり


オーストラリアは190111日に イギリスから独立しました。

これによりオーストラリア連邦(Commonwealth of Australia)が成立、内政自治権を獲得。ところが外交権はまだイギリスにありました。

その13年後に第1次世界対戦が起きたのです。

19147月に第一次世界大戦が起こると、オーストラリアはイギリスと共に連合国の側に付いて参戦した。731日に「最後の1人、最後の1シリングまで (our last man and our last shilling) 」イギリスと共に戦わねばならぬと訴えた労働党党首アンドリュー・フィッシャー (Andrew Fisher) は首相に就任すると、海軍を派遣して南太平洋のドイツ領を占領した。また中近東やヨーロッパには義勇兵(ニュージーランド軍との合同部隊)が向かい、各地を転戦した。この部隊はオーストラリア・ニュージーランド軍団の頭文字を取ってアンザック (ANZAC) と通称された。ANZAC1915年、オスマン帝国(現在のトルコ)のガリポリ半島上陸作戦に失敗(「ガリポリの戦い」の項を参照)し、8,141名の戦死者を出す大損害を蒙ったが、作戦決行日の425日は以後ANZACの日 (ANZAC Day) として記念された。

引用:オーストラリアの歴史よhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2


上記のとおりオーストラリアは第1次世界対戦中、イギリスと共に連合国側になったんでしたね。歴史の授業がよみがえってきます。独立したとは言え、連邦国。イギリスが戦うならば我が国も!と参戦する事になりました。

敵対する中央同盟国が「ドイツ、オーストリア、オスマン帝国(現トルコ)、ブルガリア王国」

ではガリポリ半島の上陸作戦とは?


連合国側は、敵のオスマン帝国の首都イスタンブール占領を狙いました。それが「ガリポリ半島の上陸作戦 」で、そこに白羽の矢がたったのが「オーストラリアとニュージーランド軍団」だったのです
上陸作戦は失敗に終わり多数の死者をだす悲劇。

いつからAnzac Dayになったのか


1916年に正式に425日がANZAC Dayとされるようになりました

ところが第二次世界大戦後は、ガリポリの戦いに参加した兵士だけでなく「戦争に参加した全てのオーストラリア兵のための記念日」に変わってきました

そこにはアフガニスタンの任務で犠牲となった若者も含まれます。

第二次世界大戦も含んだ追悼式が意味するもの


ここからが日本人として知るべきアンザックデイの意味です。

第一次世界大戦では、日英同盟を組んだ日本は連合国側で味方同士。

ころが、第二次世界大戦では敵国に!

1942年から1943年の間にかけて日本は太平洋戦争を起こしました。

この標的がオーストラリア。空襲攻撃をしかけ多数の犠牲者を出した悲劇です。

アンザックデイのサイトには、日本の空襲と言う言葉が登場します。

オーストラリア政府のサイトの一部を紹介します。

訳)アンザックデイが初めて記念碑で追悼されたのが1942年。当時政府は日本の空襲に備えて大規模な集会を禁じ、それがマーチも追悼式もなしという誘因となりました。それ以後、アンザックデイは毎年記念碑で追悼が行われています。

Anzac Day was first commemorated at the Memorial in 1942. At the time, government orders prohibited large public gatherings in case of a Japanese air attack, so it was a small occasion with neither a march nor a memorial service. Since then, Anzac Day has been commemorated at the Memorial every year.
 引用:The Anzac Day Traditionhttps://www.awm.gov.au/commemoration/anzac-day/traditions

このようにアンザックデイ―の追悼式の歴史の中では日本との関係が切り離せない事実があります。

ラジオでも第二次世界大戦を振り返る兵役経験者が当時の状況を語る時、「日本の空襲攻撃」が登場します。

”Japanese attacked….”と聞こえる度に複雑な気持ちでした。

今回も「私の祖父は日本人を嫌っていた。」と聞こえてきました。何を言うんだろう?ドキドキしました。でも続きは「でもそれは歴史上仕方がなかった。今こうして友好国となっている事に感謝したい。」と言っている男性のメッセージ。ホッとする。。。。

トルコ人はアンザックデーをどう受け止めているんだろう?

マーチ終了後、義父母の家に行った時に日本に対する思いも含めて義父母に聞いてみました。

「敵対国として攻められて同じく犠牲者をだしたトルコ人はこの日をどう思っているのか?又、空襲攻撃した日本に対して敵対心は強く残っているのか?」

答えは「その頃は仕方がなかった事。それをお互い許す事が出来ているからトルコとも日本とも友好国になっているのよ。」
でした。

’アンザックデイとトルコ’との関係を調べていると素晴らしい記事をみつけました。

訳)毎年4月24,25日はオーストラリアとニュージーランドからの多数の参加者と共にトルコのガリポリ半島でガリポリの戦いの追悼が行われる。トルコ人とオーストラリア人、ニュージーランド人にとって大変重要でまた意味深い日である。これは確かな平和と理解と許しの象徴である。トルコ人、アンザックの精神は永遠にトルコ、オーストラリアとニュージーランドの団結のもと尊敬と友情の絆を続けるであろう。

Every year, on 24-25 April, the battle of Gallipoli is commemorated in Gallipoli peninsula, Turkey with a wide participation from Australia and New Zealand. It is a very important and also meaningful day for Turks and Anzacs and it is definitely a symbol of peace, understanding and forgiveness. The Turk- Anzac spirit will continue with its ties of respect and friendship which unite Turkey, Australia & New Zealand forever.

引用:ANZAC Friendship between Anzacs and Turksよりhttp://www.anzac.com/friendship_between_anzacs_and_turks.html

上記のサイトには、ガリポリの戦い前は決して顔を合わせた事もなかった両サイドの兵士たちが戦時中、抑制された友愛の中で互いに食料やたばこ、写真などを交換しあい人間的な繋がりを築いていった事が写真と共に記されていました。

日本の空襲の場合はそれとは違う背景なので、まだまだ兵役経験者や未亡人になってしまった老人の方の中には癒されない傷が残っているのも事実。

だからこそ、在住者としてアンザックデイを単なる祝日とか海外の行事と軽くとらえるのでなく、歴史を振り返り心から追悼する思いが強くなりました。

又、Donは夫側の先祖がアンザックデイや第二次世界大戦の兵役経験者なので義父母から話を聞きます。

歴史を垣間見る大切さを痛感する日。子供に伝える大切さ。

義母の作ってくれたアンザック ビスケットを食べながら今こうしてオーストラリアで国境を超えて家族となった喜びを感じたのでした。

アンザックビスケットとは?

アンザックビスケットとは、オーツ麦と小麦粉、砂糖、バター、ゴールデンシロップ、ベ
ーキングソーダ、乾燥ココナッツ、沸騰したお湯を材料とした固めのビスケット。

第一次世界大戦時、ANZACのために彼らの母や妻たちを中心に作られました。

固くて丈夫でおいしくて長旅にも保存が効く事から長期間にわたる戦いの間、兵士たちの自国と繋がる絆としても大切な存在だったビスケット。

これも語ればまた長くなるので別記事で紹介します。

ちなみにオーストラリアでは、ビスケットを”ビッキー”と略して呼びます。

何でも略するのがお好きなオージーです。

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